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亀文堂写

亀文堂写

【亀文堂とは】
湖東地方には「日本亀文」との銘のある鉄瓶が残っています。これは近江・能登川に住んでいた波多野正平の作であって、現在も美術品として高い評価を受けています。

初代亀文は家業の醸造業を継がず、京都の龍文堂四方安平の弟子となり、のちに独立しました。豪放磊落、風雅を志す文人肌の芸術家で、酒を好み、家計をかえりみることがなかったと言われています。

また、頼山陽の教えを受け、またその子の頼三樹三郎らの勤王の志士との交友があったため、安政の大獄にかかわり、幽閉されたことがありました。

元治の兵火で家を失い、近江信楽の代官多羅尾氏を頼って身を寄せ、のちに日野に移り、最後には能登川に居を移しました。それはこの地の山水をたいそう好んだためであると言われています。

初代亀文堂の作として有名なものは、江戸湯島の聖堂の飾りに使用した72個の銅器です(現在は所在不明です)。いまも鉄瓶・茶釜・火鉢・文房具などは美術品として尊重されています。

明治25年(1892年)に初代亡き後、3代まで鉄瓶を中心に高級蝋型銅器作品が制作され、昭和初めには大阪にも工場を作り、小物から大型銅器まで高級な銅器を盛んに製造しています。その後、昭和20年代に4代目が後を継ぎましたが、当時は高級な鉄瓶の需要が殆どなく、制作は絶えることとなり、亀文堂もその歴史を閉じてしまいました。

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