日本の伝統工芸品 南部鉄器をはじめ 各鋳物産地の鉄瓶・急須・鍋など こだわりのものづくりと販売をサポート

南部鉄器(岩手県)

南部鉄器の魅力(岩手県)

歴史

繊細な鋳肌と重厚な味わいのある着色が特徴の南部鉄器は、みちのくの小京都「盛岡」の歴史と自然が長い時間をかけて作り上げた、岩手県が誇る伝統工芸品です。その歴史は古く、17世紀中頃、現在の岩手県盛岡市を中心とした地域を支配していた南部藩主が京都から盛岡に釜師を招き、茶の湯釜を作らせたのがはじまりといわれています。
その後、盛岡は良質な原材料に恵まれていたことや、藩が保護育成に努め全国各地から鋳物師・釜師を召し抱えたことで発展を遂げ、今日まで受け継がれてきました。有名な南部鉄瓶は18世紀に入り、茶釜を小ぶりにして口とツルを付けたのが始まりといわれており、手軽に使われるようになり、湯沸かしの日用品として広くいきわたりました。大正天皇がまだ皇太子だった明治41年の秋、大正天皇を東北地方に招き、各県の珍しい物をご覧いただくことになりました。岩手県では、南部藩御釜師「8代目・仁左衛門」が鉄瓶や茶の湯釜を作り、その順序をお目にかけました。その様子が、東京をはじめ全国の新聞に掲載されたのをきっかけに、南部鉄瓶、湯釜の人気はうなぎのぼりになり、伝統的な技術から生まれた鉄瓶、湯釜は大発展し、鉄瓶といえば南部鉄瓶といわれるほどになりました。

一方、現在の岩手県奥州市にあたる地域の伊達藩の支配下にあった水沢の鉄器の歴史も古く、平安時代末期にまでさかのぼります。栄華隆盛を極めた藤原三代の平泉文化とのかかわりが深く、その祖藤原清衡が中尊寺建立の悲願を立て、近江の国より招いた鋳物師達に多くの仏具を作らせたことに始まると伝えられています。
明治以降は両産地の交流も進み、昭和30年頃には盛岡と奥州の両産地で作られた鋳物を総称して南部鉄器と呼ばれるようになりました。

特色・技法

南部鉄器のイメージは、「質実剛健・丈夫で長持ち」ですが、描かれた様々な絵柄紋様は作り手の心の機微や温もりを肌で感じさせてくれます。茶器としては勿論、置くだけでインテリアにもなるのが南部鉄瓶です。
南部鉄器は鉄を素材にした鋳物です。南部鉄瓶の伝統的な技法は焼型であり、紋様押し、肌打ち、漆仕上げなど数多くの工程を経て作られています。なかでも鉄瓶のサビを防ぐための釜焼き(金気止め)は約900℃の炭火の中で1時間程焼くことにより、酸化被膜をつける南部鉄瓶の技術です。
詳しくは「焼型鉄瓶製造工程」をご覧ください。

伝統的な技法の焼型鉄瓶とは対称的に、現代鋳造で製作される鉄瓶もございます。砂鋳型を作り造形の際に焼型鉄瓶のように焼きあげないので生型鉄瓶といわれています。伝統の技と現代鋳造がマッチした秀作です。
詳しくは「生型鉄瓶製造工程」をご覧ください。

南部鉄瓶で沸かしたお湯は「お湯がまろやかなになる」と言われ昔から茶人をはじめお茶愛好家にも大変好まれております。沸かしたお湯には身体に吸収されやすい二価鉄を含んだ鉄分が溶出し自然な形で摂取でき、又、水道水に含まれる塩素を除去する働きもあり、健康の面からも人気です。
南部鉄器の鍋は肉厚の鋳物で、熱が均一に伝わり熱ムラや急な温度変化を起こしにくく、鍋全体から包み込むように加熱し、美味しさを逃がさずお料理を仕上げます。また一度温まると冷めにくく蓄熱性が優れています。肉などを焼く際も熱を奪われることなく表面を一気に焼き上げ食材の旨みを閉じ込め格段に美味しく仕上げます。
日本的「侘び」・「寂び」のデザインは海外でも高い人気で、観光客からもお土産として日本の伝統品である南部鉄器が選ばれております。

「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」の制定により、昭和50年(1975年)に通商産業大臣(現・経済産業大臣)指定の、国の「伝統的工芸品」に指定されました。

商品一覧

商品情報

PAGETOP
Copyright © 株式会社ユウトナス YUUTONASU Corporation All Rights Reserved.