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江戸鉄瓶(東京都)

江戸鉄瓶の魅力(東京都)

【歴史】

安土桃山時代の天正18年(1590年)、五か国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)を統治していた徳川家康に脅威を感じた豊臣秀吉はこの領地を取り上げ、1590年に後北条家の旧領に転封され居城を江戸に置きました。当時の江戸は寒村だったようです。徳川家康はこの寒村を、軍事力や経済力のある城下町にするため、五か国統治当時の手法で民政、軍事、経済の強化を成功させ、慶長8年(1603年)に将軍宣下を受け、幕府を江戸のままにしました。そこには、統治していた三河など諸国から大工、左官、鍛冶屋、鋳物師など一流の職人たちを江戸に指導者として呼び寄せたといわれており、職人たちをそれぞれの職種ごとに城下町へ集住させ職人町を設け、各職種の棟梁には領内における土地や営業権など種々の特権を拝領させ仕事を請け負わせました。棟梁は配下の職人を集めてその拝領地を分割して住まわせ、領主の仕事に従事させたといわれています。これが後の江戸の鋳物「江戸鉄瓶」の始まりとおもわれます。

千代田区の神田には幕府の御用を務めた御用職人が多く集住し、その職業が町名となった地が多くありました。
竪大工町、鍛冶町、鍋町、塗師町、蝋燭町、乗物町、紺屋町など。
現在も「鍛冶町」・「神田金物通り」と地名がありその名残から鋳物師が生活していたことが見ることができます。
また、中央区にも金座・銀座、鞘町、鉄砲町、釘町、紺屋町、桶町、鍋町など職人町がありました。

江東区の大島に釜屋堀通りと名付けられた道路があります。この通りに釜屋堀公園があり、そこには「釜屋跡」の碑が建っています。釜屋跡の碑には、『太田氏釜屋六右衛門と田中氏釜屋七右衛門は通称釜六 釜七と称し寛永十七年今の滋賀県から港区にきてまもなくこの付近に住い釜六は明治時代まで釜七は大正時代まで代々鋳物業を盛大に続けて知られ なべかまの日用品をはじめ ぼん鐘仏像天水おけなどを鋳造した 昭和三十三年十月一日 江東区第十九号』と刻まれています。そして、釜屋堀通りの南に流れる小名木川沿いに北砂緑道公園があります。そこには「釜屋の渡し跡」の碑が建っています。釜屋の渡し跡の碑には、『釜屋の渡し跡(大島一-十八~北砂一-三) 釜屋の渡しは、上大島村(大島一)と八右衛門新田(北砂一)を結び、小名木川を往復していました。名称は、この対岸に江戸時代から続く鋳物師、釜屋六右衛門・釜屋七右衛門の鋳造所があったことにちなみます。写真は明治末ごろの釜屋のようすです。川沿いに建ち並ぶ鋳物工場と、そこで働く人々や製品の大釜が写っています。明治の初めごろにはすでに、対岸の農耕地などへ往来する「作場渡船」に類する「弥兵衛の渡」がありました。「大島町誌」(昭和七年刊行)によれば、大正七(一九一八)年七月五日に「営業渡船」として許可されています。利用状況は、平均して一日大人二〇〇人、自転車五台、荷車一台で、料金は一人一銭、小車一銭、自転車一銭、荷車二銭、牛馬一頭二銭とあります。 「城東区史稿」(昭和十七年刊行)には営業の記載があるので、それ以後に廃止されたものと思われます。 平成九年三月 江東区教育委員会』と刻まれています。この事から、この付近は大きい規模の釜屋の鋳造所があったことがわかります。

しかし、日本の首都である東京の鋳物師は、日本の経済発展とともに産業鋳物(機械部品等)に変わっていき、日用品の工芸鋳物は数少なくなってしまいました。そんな中、東京の鉄瓶では唯一の職人「江戸鉄瓶工房 横塚氏」が400年程続く伝統工芸の技法を受け継いでおります。

【特色・技法】

江戸鉄瓶は、400年程前から続く伝統工芸の手づくりの技法(惣型法、焼型法)で作られています。同様の技法で作られる鉄瓶は数多くありますが、江戸鉄瓶のこだわりは、1つの鋳型から1個だけしか作り出さない製法を用いております。

一般的には1つの鋳型から数個を作り出します。数個しか作り出せない理由は、鋳型から鉄瓶を取り出す際、鋳型が傷む他、紋様も薄れてしまうからです。1つの鋳型から1個だけを作り出すことで、繊細な紋様は力強く、鉄瓶の肉厚を薄くし軽さを実現させております。

肉厚が0.5~1mm違うだけで鉄瓶の重さは相当変わってきます。鋳型と中子の隙間に溶けた鉄が流れ込み肉厚が決まります。肉厚を薄くする技術は困難で、鋳型と中子が一定の間隔でないと穴が空いてしまったり、鉄瓶の形が形成されません。

鋳型の製造段階で納得いかなければ壊して作り直し、鋳込み後、鉄瓶を取り出して少しでも仕上がりが悪ければ作り直すほど妥協を許しません。大変手間がかかり、効率は決してよくはありませんが、このこだわりがあるからこそ、手に取った時に判る、使い勝手のよい鉄瓶が作られるのです。

江戸鉄瓶は、手づくりならではの、味わいある鋳肌のきれいな鉄瓶で、鉄の硬さを感じさせない柔らかなフォルムを表現し、肉厚の薄さ、見えないところの処理(内部注ぎ口の付け根等)や、本体と蓋との合わせがとても優美。日本の美徳「わび・さび」を感じさせる、華やかさだけでない日本人特有の奥深い豊かさを感じさせる美しい深みのある色。鉄瓶の内面は伝統技法の釜焼きを用い、さび止めのための酸化皮膜をつけています。
詳しくは「江戸鉄瓶製造工程」をご覧ください。

鉄瓶で沸かしたお湯は「お湯がまろやかなになる」と言われ昔から茶人をはじめお茶愛好家にも大変好まれております。沸かしたお湯には身体に吸収されやすい二価鉄を含んだ鉄分が溶出し自然な形で摂取でき、又、水道水に含まれる塩素を除去する働きもあり、健康の面からも人気です。

略歴

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横塚裕多加

1979年、家業(3代目)である鋳物の道に入る

  • 江戸鉄瓶工房 代表
  • 川口鋳金工芸研究会 会員
  • 江戸川区伝統工芸会 正会員
  • 第39回川口市美術展 議長賞
  • 第62回埼玉県美術展 入選
  • 第31回江戸川伝統工芸展 入選

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